コラム欄login 自殺について 最終的な結論 数多の人間の愚かな行為の中で、最悪なものの一つが自殺である、と私は長年の経験と考察から判断しています。 最悪と言う意味は、生きる目的に反した行為ということです。生きる目的を持たずに、ほとんどすべての人間は、この世で死んでいきます。何のために苦しい人生を送るのか、生きる目的を自覚しない人たちは、全く理解することができずに、この世の生を終えます。 生きる目的を正しく理解できないために、自分勝手な屁理屈を考えだし、自己陶酔して、最後は諦めきれずに無念や後悔に満ちた、死という断末魔で藻搔き苦しんで、この世の生を終えます。生きている間は、死は自分には無縁のものと錯覚し、享楽的で無責任な行為に終始します。 私の判断では、一部の例外的な人たち(人生の本当の目的を認識した人たち)を除き、ほぼ100%の人間は無意味な人生を送り無意味な死に方をします。私は、数多くの臨死状態の人たちを見てきましたが、満足した心境でこの世を 去る去る人を経験したことはありません。自らの死に直面した時の筆舌に尽くしがたい恐怖や苦しみは、想像を絶する類のものです。安らかな死に顔など見たことがありません。顔は恐怖のために引きつり、助けを求め大きな口を開けますが声になりません。目は恐怖のために大きく見開きますが、死後も同様です。死亡後は、遺族には閉眼の処置をしてから面会させます。死後の筋肉の弛緩のため、一見、無表情の穏やかな顔つきになります。 死ぬ瞬間は決して穏やかなものとは言えません。私は老若男女を問わず、少なくとも身内の死に際には立ち会った方が良いと思います。死の瞬間は崇高で敬虔なものではないという事実を認識するには、百聞は一見に如かず、の経験が必要と考えます。 さて、話がいつものように、脱線しかかりました。自殺は、人生の目的という観点から逸脱した行為であり、無意味な死としか捉えられない、現象と私は判断します。酷な表現をすれば、無責任な逃避行為とみなすべきでしょう。死は苦しみからの解放との誤った甘い誘惑であることを銘記すべきです。 人生の目的とは何かを明らかにしなければ、私の話を素直に肯定する人たちは、極く少数であることは、私自身にはよくわかります。とても大切でありこれ以上に大切な事があるとは思われませんが、別の機会に論ずることができればと考えます。それまでは、あるいはその後も、多くの批判が起こることは重々、承知しています。